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漱石とシェイクスピア:夢十夜の「星の破片」

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  “「死んだら、 埋 めて下さい。大きな真珠貝で穴を掘って。そうして天から落ちて来る星の 破片 を 墓標 に置いて下さい。そうして墓の傍に待っていて下さい。また 逢 いに来ますから」  自分は、いつ逢いに来るかねと聞いた。 「日が出るでしょう。それから日が沈むでしょう。それからまた出るでしょう、そうしてまた沈むでしょう。――赤い日が東から西へ、東から西へと落ちて行くうちに、――あなた、待っていられますか」”  (夏目漱石『夢十夜』第一夜) ここに登場する「星の 破片」の由来はもしかしたら『ロミオとジュリエット』なのかもしれない。第一夜自体に " Star-crossed lovers"の趣があるし、さらに以下の一節のモチーフは、第一夜と重なりすぎる。 シェイクスピアを愛した漱石によるオマージュ? “when he shall die, Take him and cut him out in little stars, And he will make the face of heaven so fine That all the world will be in love with night And pay no worship to the garish sun.” ( William Shakespeare “ Romeo and Juliet” Act III, Scene II)  

見えないものを集めるミツバチ

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ミツバチたちは、花々が折りたたまれた状態で生まれることを知っている。「折りたたむ」とは、もとにあったものを折り曲げて重ね、小さくすることであるが、花々の場合、もとにあったものは、発生のときには存在しない。この起源の秘密と記憶が、甘い蜜を生むのだ。 アカシア、クローバー、オレンジ、レモン、ローズマリー。老姉妹が集めた蜂蜜は、人々のささやかな朝食になり、病いの人を癒やし、また静寂に対する不安を和らげもした。 姉のほうが愛したのは、夜明けの時間だった。濃密な夜の気配がしりぞいて、朝日によってすべてが新しくなる瞬間が格別だと彼女は思っていた。彼女が書き物をするのは、きまって朝だった。夜に書かされてしまうことを嫌ったからだ。 妹のほうが愛したのは、雨上がりの水たまりだった。雨が止み、羽を休めていた鳥たちがふたたびせわしなく動き始め、ミツバチたちも狩りに乗り出す時間の、太陽を照り返し、緑を映し込む水たまりが大好きだった。水たまりはすぐに乾いて消えてしまうところがいい、と彼女はよく言ったものだった。 老姉妹は音楽が好きだった。時折、花々が咲きみだれる庭へと続く自宅のコンサバトリーに数人の友人たちが集い、ルネサンス音楽の演奏を楽しんだ。二人のヴィオラ・ダ・ガンバの腕前はそうたいしたものではなかったが、コンソート音楽なら弾ける曲もたくさんある。演奏のあとは、きまって紅茶と蜂蜜ケーキを出して、まるで先ほどのポリフォニーの続きのような会話を楽しんだ。 姉妹が集めたのは蜂蜜とささやかな数の友人たちだけではなかった。二人は、本で出会った多くの言葉を、赤い皮の表紙のノートに書き写した。リルケに倣うなら、二人は「見えないものを集めるミツバチ」でもあった。老姉妹にとって大切なのは、言葉そのものではく、言葉に「変化」させることと、変化を経た言葉を蘇らせることだった。変化させるときの心の働きこそが、もとにあった脆弱な、かりそめの、地上的なものの本質のようなものを、深く、切なく、熱烈に心に刻みこむのだ。それらが消えてしまったあとでも、見えざるものとして蘇ってくるほどに。 皮のノートの最初のページには、こんな詩が引用されている。 草原をつくるにはクローバーとミツバチがいる 一輪のクローバー、一匹のミツバチ そして夢想 夢想だけでもいい もしミツバチがいないのなら (E.D.) 二人がなぜこの詩を引用したの...

「真似ぶ」ことについて(『なしのたわむれ』補遺)

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  『なしのたわむれ』(素粒社)にこんなことを書いた。 呼吸といえば、音楽に関する印象的な経験があります。オランダの王立音楽院に入学して最初のヴィオラ・ダ・ガンバのレッスンの時です。レッスンに持っていった曲は、師匠の録音を何度も繰り返し聴いた曲でした。録音で知っている曲が、すぐ目の前でどういうふうに演奏されるのかを知りたかったからです。  一度目を弾き終えてから、今度は曲の頭から再度演奏をして、時々師匠がコメントを挟みながら進行するというスタイルだったのですが、師匠はフレーズの間合いをすごく長くとっていることにまず気がつきました。この日は、最初のレッスン日ということもあり、他の学生たちもマスタークラスさながらに互いに聴講しあっていたのですが、師匠が求める間の長さに一同驚きを隠せない様子でした。その様子を見て師匠は「ほら、鳴っている音をもっとよく聴いてごらん。まだ次に移るには早すぎる。響きを楽しんで」と微笑みながら言ったのです。  音楽の教師には言葉で説明するタイプと実際に弾いて教えるタイプがいるのですが、師匠は完全に後者のタイプで、レッスンの半分くらいは自ら弾いて「こういうふうに」と示すいわば「口伝」のスタイルでした。最初のレッスン、そして健全な競争心にあふれた同級生の前での演奏ということで、すべての学生が「うまく弾こう」「華麗に弾こう」と思いながら演奏していたと思うのですが、私たちはそれが誤りであることにすぐに気がつきました。  音を楽しむこと、響きを慈しむことは聴く行為を一段高いところへと引き上げます。すぐに、私たちは小手先でうまく弾くことを忘れて、師匠が手招きをする響きの庭へと連れ出されました。それからは、いままでの癖や見栄や競争を忘れて、小さな子供が大人の発する言葉を真似ながら言語を習得するように、師匠の呼吸に自らの呼吸を同調させる稽古が始まりました。音楽のレッスンとは、理論やスタイルを学ぶことや技術を学ぶことの前に、呼吸を「真似ぶ」ことが重要なのだと、否応なしに納得させられました。 —— 『なしのたわむれ』 第21信「間の呼吸」より 真似びから始めることには思わぬ効果がある。 たとえば、師と同じ音をだそうと、レッスンで試行錯誤を重ねるうちに、あ、今のはOKかもと感じる瞬間がある。 家に帰り、その時の感覚を思い出しながら、あれこれ工夫していくうちに...

未来が屈してしまわぬように

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堀田季何句集 『人類の午後』(邑書林)の書評。 中部短歌会会誌「短歌」令和四年八月号掲載。ブログへの転載許可取得済み。 http://youshorinshop.com/?pid=161752774

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「雨」 レイモンド・カーヴァー作/須藤岳史訳 今朝、目がさめたとき 無性にこのまま一日中ベッドにいて 本を読んでいたいと思った。しばらくそんな気分と闘った。 それから窓の外の雨を見た。 そして降参した。この雨の朝にすっかり 身を任せちまおう。 おれはこの人生をまたもう一度生きるんだろうか? また同じ許されない過ちを犯しちまうんだろうか? うん、確率は半分だ。うん。 Rain Raymond Carver Woke up this morning with a terrific urge to lie in bed all day and read. Fought against it for a minute. Then looked out the window at the rain. And gave over. Put myself entirely in the keep of this rainy morning. Would I live my life over again? Make the same unforgivable mistakes? Yes, given half a chance. Yes. From: Where Water Comes Together with Other Water (1985)

失われた句意を求めて

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三橋敏雄アルバム より(リンク引用) ミステリにときおり登場する安楽椅子探偵(アームチェア・ディテクティブ)。 現場に赴くことなく、与えられた情報のみで事件を解決するあれだ。 安楽椅子探偵という用語は、実際には旅行には出かけず、ガイドブックを読んだり、時刻表を眺めたりして旅の気分を味わうarmchair travelerという語から派生したという話もある。 前にこんなツイートを見かけて、出来心で 謎解き遊び をしたことがある。とりあえずネットで調べられる情報をもとに、ちょっとした推理をしてみた。 花火の夜椅子折りたたみゐし男/三橋敏雄『青の中』 この句は池田澄子のエッセイで知って以来(彼女は60代以降の三橋敏雄に私淑のち師事していた)、自分にとってなにかが起きているのにそれが何であるのか他人に指差すことができない句としてずっと頭中にある。 — りんてん舎──詩、短歌、俳句の古本屋 (@rintensha) November 10, 2021 まず、句そのものを検索してみると、この句は三橋敏雄が『風』三号(昭和12年8月)に寄せた「ある遺作展」という連作の一部だということがわかった。 大井恒行の日日彼是 「真の芸術はやがて真の自由主義に胚胎する」・・・3 (2015年1月27日火曜日)より以下に孫引きしてみる。 ***ここから*** ある遺作展                            三橋敏雄        遺作展階を三階にのぼりつめ       遺作展南なる窓ひとつ閉づ     帽黒き人と見たりし遺作展     遺作展階下ましろく驟雨去る          動物園      園茂り午後のジラフの瞳を感ず     人間や河馬の檻には立ち笑へり     ふきあげの見えゐる象の後足なり          〇      招魂祭とほく来りし貌とあり      花火の夜椅子折りたたみゐし男     指先の風にとまりし悍馬なり     回転ドアめぐればひとがひかりゆき ***ここまで*** 敏雄は当時17歳。まだ若いし、同人になってからまもないということで、つくりたての自信作を出したのではないかと見当をつける。 そこで、昭和12年に開催された遺作展を検索してみると、古書目録の 目次 に「満谷国四郎遺作展・佐伯祐三遺作展」という項目が見つかった。 佐伯祐三遺...

忘れられたラプソディ(あるいは蛇)【改稿】

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先日のブログ で、夢に繰り返しあらわれるモチーフについて書きました。今日は、それに関連した掌篇の一部をご紹介します。 忘れられたラプソディ(あるいは蛇)【改稿】 須藤岳史  あいつがやって来るのはきまって日中だ。だから、あいつには目がないのかもしれない。あいつの質量が夜のそれと同じくらいなのも、夜には出歩かない理由なのかもしれない。  それと、あいつがやって来る引き金となるのはいつも音だ。とくに音がよく響く場所、たとえば幼稚園の屋内プールだとか、小学校の体育館だとか、そういった場所はあいつの格好の住処となっている。実体を得るには、入り込むためのうつろな空間が必要なのだ。  その到来の仕方はゆるやかだ。しかし、いつも「そろそろ来るな」という予兆がある。周囲に溢れる子供たちの声が混ざり始め、近い周波の声が溶け合い、一本の線となる。その線にとらわれないように、私は別の音色の声の線を紡ごうとする。集まった線は独自の対位法により時間の流れのなかに配置され、ポリフォニーを生む。音楽は、私が紡ごうとしていた線を圧倒し、その音響のなかからあいつはやって来て、私の音楽の時間を止める。  流れを阻害された音楽は時間のある一点に集約され、そこでこだまする。その響きに押しつぶされるようにして空間が歪む。そして止まった時空の中で、目の前の光景がすでに知っている質感として再生される。そこでは視覚は聴覚に追従する。  季節は夏で、私は園庭にいて、目の前にはスイカがある。ひとりの子供が手ぬぐいで目隠しをされ、棒を持って立っている。私はその子供がどういう風に動くのかを、そして振り下ろされた棒の一閃がスイカをぐしゃりと潰すことを知っている。破壊への無邪気な決意を持って。  プールでもそうだ。音が一点に集約されて溢れ出すとき、一人の子供が溺れることを知っている。そういえば、その頃、別の小学校の知らない子供が行方不明となって、数日後に低い土地の暗い林に囲まれた貯水池で発見された。誰かに落とされたのか、それとも自分で落ちてしまったのかはわからないけれど、とにかく子供は冬の冷たい水の中で死んだ。  はじまりを知らずに再生(リプレイ)される光景のなかでは、貯水池はダムのような深い水の上に伸びる堤防か、あるいは水門のようなコンクリートの飛び石に置き換わっていて、目の前でその子供が落ちる。私は飛び込んで助けるかどう...

飛べるの飛べないの?

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Yves Klein,  Saut dans le vide,  1960 ときどき空を飛ぶ夢を見るらしい。 で、どうやって飛ぶの?と訊いてみたところ、早歩きをしているうちに、足が少しずつ浮きはじめ、気づいたときには飛んでいるのだ、とうちのひとはいう。 私は、夢を見ることや夢を覚えていることがほとんどない。それでもたまに見る夢に繰り返しあらわれるモチーフがあって、それは水にまつわるもの(高波から逃げたり、誰かが水の中に落ちたりする)と人家の地下にあるらしい深い井戸(部屋?)に関するものだ。さまざまなヴァリエーションがあるとはいえ、そこに刻印された気分は共通している(ような気がする)。 ボルヘスは、あらゆるプロットはおそらく少数のプロットに帰着するのではないかといっていた。ほとんど無限ともいえるプロットの変奏は、プロットがみている夢なのかもしれない。 * リビングルームの正面の街路樹にいつのまにか鳩が巣を作り、卵を温めている。窓からほんの5メートルくらい先なので、室内からも様子がよく見える。鳩もこちらの視線を意識しているようなので、安心して卵をあたためられるよう、ここ数日、昼間はうすいレースのカーテンを閉めっぱなしにしてしている。 そして、家の屋根にもカモメが巣を作りはじめているみたいで、作りかけの巣のパーツがバルコニーに落ちてきたりする。建物の管理組合のみんな(といっても4世帯だけだけど)と相談した結果、カモメのご夫婦には、巣作りと子育てをこのままつづけていただいて、こちらはあたたかく見守ろうではないかということになった。どうせすぐ下は、(上の階の家の)物置になっている屋根裏なので、騒音も気にならない。ただし、毎日バルコニーを掃除しないとたいへんなことになりそうだ。 去年の夏は、反対側の家の屋根でカモメが子育てをしていた。よちよち歩きをはじめたばかりのカモメのひなたちが屋根の周りをうろうろしていて、いまにも落ちてしまうのではないかと心配したことを覚えている。 前に小津夜景さんの ブログ で読んだのだけど、街なかではカモメは害獣とみなされ、駆除の対象になったりもするらしい。駆除の方法はたまごに青い絵の具を塗るというもの。なんでも、 絵の具を塗られた卵は孵化しないとか。ほんとうかどうかは知らないけれど。 こんな抜書きを見つけた。引用元URLはサービス終...

過不足なしの

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日本を離れて20年以上になるので、長いこと見かけていないのだけど、この季節になると中華料理店に張り出される「冷やし中華はじめました」というあの文面がたまらなく好きなんです。過剰も不足もない、なんと簡潔な表現!この張り紙を見ると、とくに冷やし中華が好きというわけでもないのに、ついつい注文してしまいます。 というわけで、「ブログはじめました」。ここでは、オランダでの日々の雑感や読んだ本の話などを綴っていきたいと思います。そして、発表済みだけど入手しにくい書き物、新しい書き物、オランダや旅先でのスナップも。 どうぞよろしくお願いします。 写真:モンテ・アルジェンターリオ(イタリア)2021年7月

時間と形をめぐる眺め

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時間と形 をめぐる、ごく個人的な眺めがある。 土器の破片。子供の頃、古墳時代の遺跡のそばの沼地で遊んでいたときに見つけた。ちょうど手のひらに載るくらいの大きさで、ひも状の模様がつけられていた。破片の一つには赤い色のあとも残っていた。家に持ち帰って、水で洗い、ガーゼを敷いた箱の中に収めた。 小さな破片であるが、遥か昔と今が一気につながったような気がした。 往古が手のひらの上で今に蘇った 。そんな驚きに包まれながら飽きもせず眺めた。破片は、学校の教師に「そういうものを個人で持っているのは違法だ」と言われて、学校へ寄付してしまった。ほんとうにそうなのかどうかは知らないけれど。 * 破片は破片であるがゆえに、もう知ることのできない 失われた部分の存在を際立たせる 。破片の端は多義的な世界へと常に溶け出している。 目に見えて、そこにあるものとは反対に、暗示的なものには形がない。 形とは時間の痕跡 であり、それが伸びていった限界点を示す。そうすると形の外は非時間的な領域とも言える。 * 形が世界の薄明へと溶け出す部分に時間はない。 「 一房の藤の垂り花夜の底の地中にふかく伸び入りにけり 」( 齋藤史『ひたくれなゐ』より) 夜の闇の中の藤はまるで地中を覗いているかのように見える。 垂れ下がる藤の先端は闇へと溶ける。時間の経過の中で咲く花と闇とのあわいを見ていると、どこからが時間的なものでどこからが時間の支配の外にあるのかがどんどんあいまいになってゆく。   円山応挙『藤花図』(部分) ロマン派の音楽の長いフレーズに比べて、古い音楽はより断片的である。 フランスの古典音楽。サント=コロンブやマラン・マレ、フランソワ・クープランの音楽は多くの断片で構成されている。ひとつのフレーズは語りの呼吸であり、たった一言、あるいは一瞬の溜息や喘ぎ、笑い、叫びなどのより 未文節な声 に溢れている。数個の音で構成される一つのアルトから、別の数個の音の連なりのバスのうごめきが、一つの楽器から次々と生まれ、消滅しながら音楽が立ち上がる。 サント=コロンブ「プレリュード」手稿譜 1680年頃 長いものは 均質さを志向する 。あるいは圧倒的な情感を押し付ける。反対に断片は、それを見るものの中で欠けている部分の再構成を促す。ボルヘスが言ったように、 人間の心理には断定に対して、それを否定しようとす...

「空」のイデア

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満月よりも、満ちる途上にある月が好きだ。 かけたものが満たされていく様は、動的な余情を生む。 美は凝固することを嫌う。流動性こそが美に命を与えている。 人間の認知活動の根源には「ないもの」を何かに代理させることによって想像するという働きがある。不完全さは一なる状態への憧れを生み出す装置である。岡倉天心は 「故意に何かを仕上げずにおいて、想像の働きにこれを完成させる」 と、茶室における不完全崇拝を説明した。 どこで聞いたのかは忘れてしまったのだが、 「歌の本質は恋である」 と誰かがいっていた。とりわけ、かなわぬ恋、亡き人への恋は、対象との合一を求める心を強く掻き立てる。 万葉集には、この上ない親しみを込めて恋人、妻、姉妹を呼ぶ「妹(いも)」という美しい言葉が多く使われている。 紫草(むらさき)のにほへる妹を憎くあらば人妻ゆゑに我恋ひめやも (大海人皇子) この歌の「妹」はかつての妻で、いつの間にか兄である天智天皇(中大兄皇子)の妻となっていた額田王(ぬかたのおおきみ)。「紫草のように美しい香りの」という最上級の誉め言葉まで添えられた「妹」には具体的な個別性がある。天智天皇も同席の上の単なる戯れ歌という話だが、この「妹」という言葉によって、もう手に入らない、かつての妻を狂おしく思う心がより一層強まっている(この確執が壬申の乱のもとになったという説もある)。 対して古今集では「妹」の代わりに「君」や「思ふ人」が用いられるようになる。越知保夫は「 古今集が万葉集の「妹」ということばを排したということはそれのもつ身体性個別性を嫌ったからである」、「万葉の「妹」が人を具体的な個別的な関係の中にひきとめるのに対して古今集は人を現実的な関係から純形式的な関係へと解き放つ 」と指摘する。個別の対象を離れたものは、合一を求める狂おしい感情と引き換えに、ロゴスを獲得し、普遍への志向を生む。 ロゴスは分節し、意味を生成し、形式を発生させることで個別の対象を離れ、距離を生む。これは合一を求める心、離れたものを結び合わせるエロスの力と相反する。個別の存在を離れた 「空」のイデア はやがてそれ自体の無限の追及を始めることになる。芸術のはじまり。 参考文献: 岡倉覚三『茶の本』(村岡博訳)青空文庫 越知保夫「好色と花 ―エロスと様式」(『越知保夫全作品』(慶應義塾大学出版会)収録) 中沢新一『...

活動サポートのお願い

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芸術は古来より脈々と受け継がれてきたものです。 私の創作活動もまた、先人たちが残した遺産に負っています。 私の音楽と執筆の活動を通して、みなさまへと還元できるもの、そして来たる世代へと手渡せるものもあるかもしれません。 私は大学や学校等の組織に属さずに活動しているため、書籍の購入や調査等の経費も、すべて自費で捻出しています。 つきましては、私の活動を支援してくださる篤志家の皆様からのご支援を賜れると幸いです。みなさまから頂いたご支援は、大切に使わせていただきます。 以下のページより、ご支援のほど、どうぞよろしくお願いします。 注:いただいたサポートの総額(=システム利用料金、送金手数料は私が負担)の 5% は、 日本国内の信頼のおける団体 (貧困サポートNPO、国境なき医師団、日本赤十字社など)への 寄付 へと充てさせていただきます。寄付は四半期ごとに行い、送金後、寄付の痕跡をツイートでシェアします。初回は、私と同様、新型コロナ感染症のパンデミックにより困難な状況に置かれている方々を支援するNPOを予定しています。あらかじめご了承ください。 Donorboxを利用する(登録等の必要はありません) :  https://donorbox.org/artssoy または: PayPal(ペイパル)を利用する : https://www.paypal.com/paypalme/artssoy 須藤岳史 2022年5月15日、ハーグにて

書籍・書き物リスト

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発表済みの書き物のリスト 【書評】「 未来が屈してしまわぬように」堀田季何『人類の午後』書評( 中部短歌会 『短歌』2022年8月号) 【エッセイ】「 音楽の価値を巡って 」(月刊経団連2022年5月号) 【 掌編 】 「 蜜蜂・夢想・言葉 」(『なしのたわむれ』刊行記念特典、素粒社、非売品) 【書籍】『 なしのたわむれ 古典と古楽をめぐる手紙 』(小津夜景との共著、2022年3月、素粒社) 【 エッセイ 】 「 古楽はいつだって新しい 」(岩波書店「図書」2020年8月号) 【 書評 】 「 逆説へのしなやかな感性 」室井光広著『詩記列伝序説』『多和田葉子ノート』(「現代詩手帖」2020年10月号) 【電子書籍】「 忘れられたラプソディ(あるいは蛇) 」(『コドモクロニクル Ⅰ』惑星と口笛ブックス、2020年3月) 【時評】 短歌評第31回   須藤岳史から服部真里子「ルカ、異邦人のための福音」へ (「詩客」2019年) 【連載】「 LETTERS 古典と古楽をめぐる対話 」(かもめの本棚、2019年4月〜2020年4月) 【書籍】 「 岬へ 」(『未明02』2018年、未明編集室) 【 書籍 】 「 稀なる星よ、一羽の雲雀よ 」(『原民喜童話集』2017年、イニュニック) 【書評】 現代詩手帖10月号刊行記念「 現代詩食堂 」(思潮社、2017年、非売品) 【 書籍 】 「 汀にて 」(『未明01』2017年、 虹色社 ) 【書評】「 カフカ・ブックガイド 」 (「草獅子」Vol.1、双子のライオン堂) 【 書評 】 「 詩性の広がりの先に 」堀田季何著『 惑亂』 (「望星」2016年6月号) 【 書評 】 「 心より出でしものよ 」平田詩織『歌う人』( 「現代詩手帖」2016年4月号 ) 【 書評 】 「 倍音を増してゆく言葉 」若松英輔著『叡知の詩学  小林秀雄と井筒俊彦』 (「望星」2016年4月号) 【 書評 】 「 確かな温度(ぬくもり)、香気 」中家菜津子著『うずく、まる』(「望星」2016年2月号) 【書評】「 物語が生命を得るとき 」村上春樹著『職業としての小説家』(「望星」2015年12月号) 【 書評 】 「 旧い友人の言葉のように 」 原民喜著『原民喜全詩集』(「望星」2015年11月号) 【 書評 】 「 詩になること 」 谷川俊...