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時間と形をめぐる眺め

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時間と形 をめぐる、ごく個人的な眺めがある。 土器の破片。子供の頃、古墳時代の遺跡のそばの沼地で遊んでいたときに見つけた。ちょうど手のひらに載るくらいの大きさで、ひも状の模様がつけられていた。破片の一つには赤い色のあとも残っていた。家に持ち帰って、水で洗い、ガーゼを敷いた箱の中に収めた。 小さな破片であるが、遥か昔と今が一気につながったような気がした。 往古が手のひらの上で今に蘇った 。そんな驚きに包まれながら飽きもせず眺めた。破片は、学校の教師に「そういうものを個人で持っているのは違法だ」と言われて、学校へ寄付してしまった。ほんとうにそうなのかどうかは知らないけれど。 * 破片は破片であるがゆえに、もう知ることのできない 失われた部分の存在を際立たせる 。破片の端は多義的な世界へと常に溶け出している。 目に見えて、そこにあるものとは反対に、暗示的なものには形がない。 形とは時間の痕跡 であり、それが伸びていった限界点を示す。そうすると形の外は非時間的な領域とも言える。 * 形が世界の薄明へと溶け出す部分に時間はない。 「 一房の藤の垂り花夜の底の地中にふかく伸び入りにけり 」( 齋藤史『ひたくれなゐ』より) 夜の闇の中の藤はまるで地中を覗いているかのように見える。 垂れ下がる藤の先端は闇へと溶ける。時間の経過の中で咲く花と闇とのあわいを見ていると、どこからが時間的なものでどこからが時間の支配の外にあるのかがどんどんあいまいになってゆく。   円山応挙『藤花図』(部分) ロマン派の音楽の長いフレーズに比べて、古い音楽はより断片的である。 フランスの古典音楽。サント=コロンブやマラン・マレ、フランソワ・クープランの音楽は多くの断片で構成されている。ひとつのフレーズは語りの呼吸であり、たった一言、あるいは一瞬の溜息や喘ぎ、笑い、叫びなどのより 未文節な声 に溢れている。数個の音で構成される一つのアルトから、別の数個の音の連なりのバスのうごめきが、一つの楽器から次々と生まれ、消滅しながら音楽が立ち上がる。 サント=コロンブ「プレリュード」手稿譜 1680年頃 長いものは 均質さを志向する 。あるいは圧倒的な情感を押し付ける。反対に断片は、それを見るものの中で欠けている部分の再構成を促す。ボルヘスが言ったように、 人間の心理には断定に対して、それを否定しようとす

「空」のイデア

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満月よりも、満ちる途上にある月が好きだ。 かけたものが満たされていく様は、動的な余情を生む。 美は凝固することを嫌う。流動性こそが美に命を与えている。 人間の認知活動の根源には「ないもの」を何かに代理させることによって想像するという働きがある。不完全さは一なる状態への憧れを生み出す装置である。岡倉天心は 「故意に何かを仕上げずにおいて、想像の働きにこれを完成させる」 と、茶室における不完全崇拝を説明した。 どこで聞いたのかは忘れてしまったのだが、 「歌の本質は恋である」 と誰かがいっていた。とりわけ、かなわぬ恋、亡き人への恋は、対象との合一を求める心を強く掻き立てる。 万葉集には、この上ない親しみを込めて恋人、妻、姉妹を呼ぶ「妹(いも)」という美しい言葉が多く使われている。 紫草(むらさき)のにほへる妹を憎くあらば人妻ゆゑに我恋ひめやも (大海人皇子) この歌の「妹」はかつての妻で、いつの間にか兄である天智天皇(中大兄皇子)の妻となっていた額田王(ぬかたのおおきみ)。「紫草のように美しい香りの」という最上級の誉め言葉まで添えられた「妹」には具体的な個別性がある。天智天皇も同席の上の単なる戯れ歌という話だが、この「妹」という言葉によって、もう手に入らない、かつての妻を狂おしく思う心がより一層強まっている(この確執が壬申の乱のもとになったという説もある)。 対して古今集では「妹」の代わりに「君」や「思ふ人」が用いられるようになる。越知保夫は「 古今集が万葉集の「妹」ということばを排したということはそれのもつ身体性個別性を嫌ったからである」、「万葉の「妹」が人を具体的な個別的な関係の中にひきとめるのに対して古今集は人を現実的な関係から純形式的な関係へと解き放つ 」と指摘する。個別の対象を離れたものは、合一を求める狂おしい感情と引き換えに、ロゴスを獲得し、普遍への志向を生む。 ロゴスは分節し、意味を生成し、形式を発生させることで個別の対象を離れ、距離を生む。これは合一を求める心、離れたものを結び合わせるエロスの力と相反する。個別の存在を離れた 「空」のイデア はやがてそれ自体の無限の追及を始めることになる。芸術のはじまり。 参考文献: 岡倉覚三『茶の本』(村岡博訳)青空文庫 越知保夫「好色と花 ―エロスと様式」(『越知保夫全作品』(慶應義塾大学出版会)収録) 中沢新一『