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ポール・オースター『Baumgartner』の「14」に関するメモ

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ポール・オースターの遺作『Baumgartner』を読んだ。 “fourteen ticks of the clock”というところでなぜ14?と気になって、14が出てくるところをマークしていったら、これがけっこうある。 ざっとあげてみる: fourteenth Street、fourteen years later、her much older husband (by fourteen years)、fourteen-year-old、fourteen autobiographical texts 文学的・象徴的な観点では、14はソネットの行数であり、詩人でもあるオースターが仕込んだ美しい呼応とも読み取れる。 また、オースターは14歳の時、隣にいた少年が雷に打たれて死ぬのを目撃した。このことが彼の人生を大きく変えたという(“The Paris Review”、BBC interview 2012など)。 https://www.theparisreview.org/interviews/121/the-art-of-fiction-no-178-paul-auster https://www.bbc.com/news/av/world-radio-and-tv-19948116 つまり14はオースターにとって、死の偶然性を初めて知った年齢である。作品に散りばめられた「14」の群れは、すべてこの原体験を静かに指し示す暗号として織り込まれているのかもしれない。 ここで『Baumgartner』の一節も思い出す。 “Life is dangerous, Marion, and anything can happen to us at any moment. You know that, I know that, everyone knows that - and if they don't, well, they haven't been paying attention, and if you don't pay attention, you're not fully alive.” (“Baumgartner”) 『Baumgartner』が遺作となる可能性があることは、病に蝕まれていた彼自身も感じていたことだろう。それを考えると、自...

漱石とシェイクスピア:夢十夜の「星の破片」

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  “「死んだら、 埋 めて下さい。大きな真珠貝で穴を掘って。そうして天から落ちて来る星の 破片 を 墓標 に置いて下さい。そうして墓の傍に待っていて下さい。また 逢 いに来ますから」  自分は、いつ逢いに来るかねと聞いた。 「日が出るでしょう。それから日が沈むでしょう。それからまた出るでしょう、そうしてまた沈むでしょう。――赤い日が東から西へ、東から西へと落ちて行くうちに、――あなた、待っていられますか」”  (夏目漱石『夢十夜』第一夜) ここに登場する「星の 破片」の由来はもしかしたら『ロミオとジュリエット』なのかもしれない。第一夜自体に " Star-crossed lovers"の趣があるし、さらに以下の一節のモチーフは、第一夜と重なりすぎる。 シェイクスピアを愛した漱石によるオマージュ? “when he shall die, Take him and cut him out in little stars, And he will make the face of heaven so fine That all the world will be in love with night And pay no worship to the garish sun.” ( William Shakespeare “ Romeo and Juliet” Act III, Scene II)  

見えないものを集めるミツバチ

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ミツバチたちは、花々が折りたたまれた状態で生まれることを知っている。「折りたたむ」とは、もとにあったものを折り曲げて重ね、小さくすることであるが、花々の場合、もとにあったものは、発生のときには存在しない。この起源の秘密と記憶が、甘い蜜を生むのだ。 アカシア、クローバー、オレンジ、レモン、ローズマリー。老姉妹が集めた蜂蜜は、人々のささやかな朝食になり、病いの人を癒やし、また静寂に対する不安を和らげもした。 姉のほうが愛したのは、夜明けの時間だった。濃密な夜の気配がしりぞいて、朝日によってすべてが新しくなる瞬間が格別だと彼女は思っていた。彼女が書き物をするのは、きまって朝だった。夜に書かされてしまうことを嫌ったからだ。 妹のほうが愛したのは、雨上がりの水たまりだった。雨が止み、羽を休めていた鳥たちがふたたびせわしなく動き始め、ミツバチたちも狩りに乗り出す時間の、太陽を照り返し、緑を映し込む水たまりが大好きだった。水たまりはすぐに乾いて消えてしまうところがいい、と彼女はよく言ったものだった。 老姉妹は音楽が好きだった。時折、花々が咲きみだれる庭へと続く自宅のコンサバトリーに数人の友人たちが集い、ルネサンス音楽の演奏を楽しんだ。二人のヴィオラ・ダ・ガンバの腕前はそうたいしたものではなかったが、コンソート音楽なら弾ける曲もたくさんある。演奏のあとは、きまって紅茶と蜂蜜ケーキを出して、まるで先ほどのポリフォニーの続きのような会話を楽しんだ。 姉妹が集めたのは蜂蜜とささやかな数の友人たちだけではなかった。二人は、本で出会った多くの言葉を、赤い皮の表紙のノートに書き写した。リルケに倣うなら、二人は「見えないものを集めるミツバチ」でもあった。老姉妹にとって大切なのは、言葉そのものではく、言葉に「変化」させることと、変化を経た言葉を蘇らせることだった。変化させるときの心の働きこそが、もとにあった脆弱な、かりそめの、地上的なものの本質のようなものを、深く、切なく、熱烈に心に刻みこむのだ。それらが消えてしまったあとでも、見えざるものとして蘇ってくるほどに。 皮のノートの最初のページには、こんな詩が引用されている。 草原をつくるにはクローバーとミツバチがいる 一輪のクローバー、一匹のミツバチ そして夢想 夢想だけでもいい もしミツバチがいないのなら (E.D.) 二人がなぜこの詩を引用したの...

「真似ぶ」ことについて(『なしのたわむれ』補遺)

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  『なしのたわむれ』(素粒社)にこんなことを書いた。 呼吸といえば、音楽に関する印象的な経験があります。オランダの王立音楽院に入学して最初のヴィオラ・ダ・ガンバのレッスンの時です。レッスンに持っていった曲は、師匠の録音を何度も繰り返し聴いた曲でした。録音で知っている曲が、すぐ目の前でどういうふうに演奏されるのかを知りたかったからです。  一度目を弾き終えてから、今度は曲の頭から再度演奏をして、時々師匠がコメントを挟みながら進行するというスタイルだったのですが、師匠はフレーズの間合いをすごく長くとっていることにまず気がつきました。この日は、最初のレッスン日ということもあり、他の学生たちもマスタークラスさながらに互いに聴講しあっていたのですが、師匠が求める間の長さに一同驚きを隠せない様子でした。その様子を見て師匠は「ほら、鳴っている音をもっとよく聴いてごらん。まだ次に移るには早すぎる。響きを楽しんで」と微笑みながら言ったのです。  音楽の教師には言葉で説明するタイプと実際に弾いて教えるタイプがいるのですが、師匠は完全に後者のタイプで、レッスンの半分くらいは自ら弾いて「こういうふうに」と示すいわば「口伝」のスタイルでした。最初のレッスン、そして健全な競争心にあふれた同級生の前での演奏ということで、すべての学生が「うまく弾こう」「華麗に弾こう」と思いながら演奏していたと思うのですが、私たちはそれが誤りであることにすぐに気がつきました。  音を楽しむこと、響きを慈しむことは聴く行為を一段高いところへと引き上げます。すぐに、私たちは小手先でうまく弾くことを忘れて、師匠が手招きをする響きの庭へと連れ出されました。それからは、いままでの癖や見栄や競争を忘れて、小さな子供が大人の発する言葉を真似ながら言語を習得するように、師匠の呼吸に自らの呼吸を同調させる稽古が始まりました。音楽のレッスンとは、理論やスタイルを学ぶことや技術を学ぶことの前に、呼吸を「真似ぶ」ことが重要なのだと、否応なしに納得させられました。 —— 『なしのたわむれ』 第21信「間の呼吸」より 真似びから始めることには思わぬ効果がある。 たとえば、師と同じ音をだそうと、レッスンで試行錯誤を重ねるうちに、あ、今のはOKかもと感じる瞬間がある。 家に帰り、その時の感覚を思い出しながら、あれこれ工夫していくうちに...

未来が屈してしまわぬように

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堀田季何句集 『人類の午後』(邑書林)の書評。 中部短歌会会誌「短歌」令和四年八月号掲載。ブログへの転載許可取得済み。 http://youshorinshop.com/?pid=161752774

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「雨」 レイモンド・カーヴァー作/須藤岳史訳 今朝、目がさめたとき 無性にこのまま一日中ベッドにいて 本を読んでいたいと思った。しばらくそんな気分と闘った。 それから窓の外の雨を見た。 そして降参した。この雨の朝にすっかり 身を任せちまおう。 おれはこの人生をまたもう一度生きるんだろうか? また同じ許されない過ちを犯しちまうんだろうか? うん、確率は半分だ。うん。 Rain Raymond Carver Woke up this morning with a terrific urge to lie in bed all day and read. Fought against it for a minute. Then looked out the window at the rain. And gave over. Put myself entirely in the keep of this rainy morning. Would I live my life over again? Make the same unforgivable mistakes? Yes, given half a chance. Yes. From: Where Water Comes Together with Other Water (1985)

失われた句意を求めて

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三橋敏雄アルバム より(リンク引用) ミステリにときおり登場する安楽椅子探偵(アームチェア・ディテクティブ)。 現場に赴くことなく、与えられた情報のみで事件を解決するあれだ。 安楽椅子探偵という用語は、実際には旅行には出かけず、ガイドブックを読んだり、時刻表を眺めたりして旅の気分を味わうarmchair travelerという語から派生したという話もある。 前にこんなツイートを見かけて、出来心で 謎解き遊び をしたことがある。とりあえずネットで調べられる情報をもとに、ちょっとした推理をしてみた。 花火の夜椅子折りたたみゐし男/三橋敏雄『青の中』 この句は池田澄子のエッセイで知って以来(彼女は60代以降の三橋敏雄に私淑のち師事していた)、自分にとってなにかが起きているのにそれが何であるのか他人に指差すことができない句としてずっと頭中にある。 — りんてん舎──詩、短歌、俳句の古本屋 (@rintensha) November 10, 2021 まず、句そのものを検索してみると、この句は三橋敏雄が『風』三号(昭和12年8月)に寄せた「ある遺作展」という連作の一部だということがわかった。 大井恒行の日日彼是 「真の芸術はやがて真の自由主義に胚胎する」・・・3 (2015年1月27日火曜日)より以下に孫引きしてみる。 ***ここから*** ある遺作展                            三橋敏雄        遺作展階を三階にのぼりつめ       遺作展南なる窓ひとつ閉づ     帽黒き人と見たりし遺作展     遺作展階下ましろく驟雨去る          動物園      園茂り午後のジラフの瞳を感ず     人間や河馬の檻には立ち笑へり     ふきあげの見えゐる象の後足なり          〇      招魂祭とほく来りし貌とあり      花火の夜椅子折りたたみゐし男     指先の風にとまりし悍馬なり     回転ドアめぐればひとがひかりゆき ***ここまで*** 敏雄は当時17歳。まだ若いし、同人になってからまもないということで、つくりたての自信作を出したのではないかと見当をつける。 そこで、昭和12年に開催された遺作展を検索してみると、古書目録の 目次 に「満谷国四郎遺作展・佐伯祐三遺作展」という項目が見つかった。 佐伯祐三遺...