見えないものを集めるミツバチ





ミツバチたちは、花々が折りたたまれた状態で生まれることを知っている。「折りたたむ」とは、もとにあったものを折り曲げて重ね、小さくすることであるが、花々の場合、もとにあったものは、発生のときには存在しない。この起源の秘密と記憶が、甘い蜜を生むのだ。

アカシア、クローバー、オレンジ、レモン、ローズマリー。老姉妹が集めた蜂蜜は、人々のささやかな朝食になり、病いの人を癒やし、また静寂に対する不安を和らげもした。

姉のほうが愛したのは、夜明けの時間だった。濃密な夜の気配がしりぞいて、朝日によってすべてが新しくなる瞬間が格別だと彼女は思っていた。彼女が書き物をするのは、きまって朝だった。夜に書かされてしまうことを嫌ったからだ。

妹のほうが愛したのは、雨上がりの水たまりだった。雨が止み、羽を休めていた鳥たちがふたたびせわしなく動き始め、ミツバチたちも狩りに乗り出す時間の、太陽を照り返し、緑を映し込む水たまりが大好きだった。水たまりはすぐに乾いて消えてしまうところがいい、と彼女はよく言ったものだった。

老姉妹は音楽が好きだった。時折、花々が咲きみだれる庭へと続く自宅のコンサバトリーに数人の友人たちが集い、ルネサンス音楽の演奏を楽しんだ。二人のヴィオラ・ダ・ガンバの腕前はそうたいしたものではなかったが、コンソート音楽なら弾ける曲もたくさんある。演奏のあとは、きまって紅茶と蜂蜜ケーキを出して、まるで先ほどのポリフォニーの続きのような会話を楽しんだ。

姉妹が集めたのは蜂蜜とささやかな数の友人たちだけではなかった。二人は、本で出会った多くの言葉を、赤い皮の表紙のノートに書き写した。リルケに倣うなら、二人は「見えないものを集めるミツバチ」でもあった。老姉妹にとって大切なのは、言葉そのものではく、言葉に「変化」させることと、変化を経た言葉を蘇らせることだった。変化させるときの心の働きこそが、もとにあった脆弱な、かりそめの、地上的なものの本質のようなものを、深く、切なく、熱烈に心に刻みこむのだ。それらが消えてしまったあとでも、見えざるものとして蘇ってくるほどに。

皮のノートの最初のページには、こんな詩が引用されている。


草原をつくるにはクローバーとミツバチがいる

一輪のクローバー、一匹のミツバチ

そして夢想

夢想だけでもいい

もしミツバチがいないのなら (E.D.)


二人がなぜこの詩を引用したのかは、わからない。もしかしたら、自分たちをミツバチになぞらえたのかもしれない。起源はいつも謎に包まれているが、解釈の扉は開かれている。もちろん、この扉に鍵はない。

ノートには美も魔も修羅も一緒くたになって入っていた。より正確に言うならば、あらゆる言葉は美でも魔でも修羅でもあった。その姿は、それが立ち上がってくる時の私たちのこころが見せているものにすぎない。そして、文脈をはぎとってしまえば、どの言葉だって土と水でできているのだ。

ノートに使われている紙は、おおまかにいって2種類。うすい錆色の帆のような紙と、真白の帆のような紙だ。そして、一つの筆跡には海のように深い青のインク、もう一つの筆跡には夜の闇を思わせる黒のインクが使われている。老姉妹のどちらが、どのインクを使ったのかは不明だ。

ノートを読んで気がつくのは、引用された言葉どうしに、なにかしらのつながりがあることだ。連句的な付けと転じにも似ている。しかし、二人はつながりなんてまったく意図していなかったのかもしれず、読み手が勝手になにかを見出しているだけという可能性もある。人は意味を探してしまういきものなのだ。老姉妹にとって大切だったのは、意味やつながりよりも、その言葉が文脈を超えて、ただただ存在していることだったに違いない。少なくとも私は、そう想像する。ノートからは、魅力的な唇が語る優しい言葉が徹底して取り除かれているようにも見えるが、その点を除けば、数々の言葉が選ばれた基準がなんであったのかは誰にもわからない。


***

初出:『なしのたわむれ』(素粒社)刊行記念の限定付録(2022年)

原題:『蜜蜂・夢想・言葉』

大幅改稿:2025年5月20日(WorldBeeDay)


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